ペレストロイカ期とソ連崩壊後 <ソ連・ファッション・化粧品>
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故以後女性たちは活発に発言し始め、グラスノスチの原動力となった。
89年に行われた選挙で女性議員が全体の13%に後退したときには「国の政治は女性の参加なしに形成されていることの確証だ」と断言する者もいた。
また「家庭復帰こそ女性の解放である」という議論への支持も高く、始まった美人コンテストも性差別ではなく、女性の解放だと受け取られた。
このころから欧米のラディカル・フェミニズムの影響が強くなり、ソ連科学アカデミーにジェンダー部会が新設され、1991年提言「女性の地位、家族、母性と子供の保護改善国家プログラム」をまとめた。
官製でない、自主的な女性グループも多数誕生し、91年から自力で女性フォーラムを開催する。
しかしソ連崩壊によって事情は一変した。経済困難のなかで家庭復帰論は影を潜め、女性の失業が深刻化した。
1995年末の国政選挙では女性議員は上院5、6%、下院13%にとどまった。性の商品化も進んだ。
そうした女性の地位の低下を表現する「貧困の女性化」ということばが生まれた。
それでも一般的には女性たちは特別自分たちが差別されているとは感じず、働いているのは自分の生きがいのためである、家事は負担ではない、とロシア女性の伝統的生き方を続けている。
ただし広がる商業活動のなかで、ファッション、化粧品など世界のブランド品も並ぶ都市では、若い女性の生活感覚は変わってきている。
社会主義崩壊後とられているのは国家からの家族の自立化政策であるが、社会進出と伝統的な家族のあり方を両立させてきたロシア女性たちが、今後どのような生き方を選択していくのか。
それはポスト社会主義ロシアの行方を決めることにもなろう。
89年に行われた選挙で女性議員が全体の13%に後退したときには「国の政治は女性の参加なしに形成されていることの確証だ」と断言する者もいた。
また「家庭復帰こそ女性の解放である」という議論への支持も高く、始まった美人コンテストも性差別ではなく、女性の解放だと受け取られた。
このころから欧米のラディカル・フェミニズムの影響が強くなり、ソ連科学アカデミーにジェンダー部会が新設され、1991年提言「女性の地位、家族、母性と子供の保護改善国家プログラム」をまとめた。
官製でない、自主的な女性グループも多数誕生し、91年から自力で女性フォーラムを開催する。
しかしソ連崩壊によって事情は一変した。経済困難のなかで家庭復帰論は影を潜め、女性の失業が深刻化した。
1995年末の国政選挙では女性議員は上院5、6%、下院13%にとどまった。性の商品化も進んだ。
そうした女性の地位の低下を表現する「貧困の女性化」ということばが生まれた。
それでも一般的には女性たちは特別自分たちが差別されているとは感じず、働いているのは自分の生きがいのためである、家事は負担ではない、とロシア女性の伝統的生き方を続けている。
ただし広がる商業活動のなかで、ファッション、化粧品など世界のブランド品も並ぶ都市では、若い女性の生活感覚は変わってきている。
社会主義崩壊後とられているのは国家からの家族の自立化政策であるが、社会進出と伝統的な家族のあり方を両立させてきたロシア女性たちが、今後どのような生き方を選択していくのか。
それはポスト社会主義ロシアの行方を決めることにもなろう。
update:2010年02月24日
